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蘇州呉県の巨星

 

中国蘇州市呉県人民政府(現在呉中区人民政府)の県長であった管正先生と初めてお会いしたのは、一九八三年(昭58年)三月三日でした。そのきっかけは、日本銀行の理事や全日本空輸(株)の役員など歴任し日中友好交流に大きな尽力と貢献をなされた、故岡崎嘉平太先生が大山町農協青壮年部の招きで講演会の講師として来られた事に始ります。講演のあと、青壮年部との懇親会の席で「中国蘇州市呉県に太湖という広い淡水湖(滋賀県琵琶湖の約三倍の広さ)があります。その湖に面して東山鎮という人口七万人ぐらいの村があります。その村では大山のように梅や李や、銀杏、蜜柑、枇杷など果樹栽培を盛んにおこなっているので交流してみては如何ですか。」と提案されたのです。「もし行かれるようであれば私が紹介状を書いてあげますから。」と言ってもくれました。青壮年部では、そんなご縁を提案いただき、お断りするのも勿体無く思い、さっそく矢幡治美組合長(当時)を名誉団長として、矢野征二郎青壮年部長(当時)を団長に、訪中団十五名が結成されました。当時は福岡空港に台湾の中華航空という航空会社が飛行機の乗り入れをしていたので、中国政府は福岡空港の利用を嫌って長崎空港でしか発着をしていませんでした。領事館も福岡にはなく九州では長崎市に一番最初に開設していました。当時、中国に入国するには旅券査証(ビザ)が必要でしたので、旅行の前に長崎市の中国駐長崎総領事館まで行ってビザを申請、十日間ほどして承認が下り、訪中となるわけです。諸々の準備が整った私たち訪中団十五名は、いよいよ長崎空港に向いました。今のように高速道路が整備されていませんでしたので、長崎空港までは大山町よりバスで4時間かかっていました。それから飛行機に搭乗して八百三十キロ先の上海虹橋空港に下りました。
上海からはバスに乗り蘇州へと向かったのです。その当時は、まだ男も女も服装は紺色の人民服という時代でした。蘇州市呉県人民政府に到着すると長身(約180センチ)でスラリとした、いかにも立派な方が紺色の人民服姿で迎えてくれました。管正先生との最初の出会いでした。その後、管正先生とは長いお付き合いがはじまったのです。大山からは三十五団体、約一,五〇〇名が訪中しました。そんな時、必ず管正先生の指導で訪問団の受け入れが組まれていました。そして呉県からは一三団体と三期の長期滞在研修生、合わせて約八十名が大山町を訪問していただきました。
管正先生が初めて大山町に来られたのが、一九八六年五月十六日から二十六日までの十一日間でした。その後奥様も同伴されて来ていただいたのも懐かしく鮮明に想い出します。その奥様、周秀玲女史から九月下旬にお手紙が届きました。封を開いてビックリしました。漢字と中文でしたが理解できました。正式には次のとおりです。

 

矢羽田正豪先生
お手紙拝受致しました。お心遣い感謝します。私は八十三歳になりましたが、健康そのものです。どうかご心配なく。愛する夫、管正は昨年他界しましたが、息子二人と娘が面倒を見てくれています。機会があれば蘇州に遊びに来て下さい。お待ちしております。
それでは。敬具
お世話になった皆様に宜しくお伝え下さい。

周秀玲

二〇一七年九月十一日

 

あまりにも突然の思いがけないお知らせの手紙をいただき、信じられないような気持ちが先に立ち、残念無念です。管正先生は1933年3月9日が誕生日でしたので84歳での永眠です。一日も早く機会を得て奥様へお悔みとお墓参りに参上したいと思っています。
次号につづきます。

 


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