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令和2年5月号

島原の子守唄

 

 先月号、地鶏 宮崎22号の続きです。
浅学菲才(学問が浅く、才能に乏しいこと)の私からみれば盲目の作家、宮崎康平先生との出会いは、私の人生の中でも数すくない衝撃的な出来事といっても過言ではないでしょう。兎に角に先生の住まわれている長崎県島原市の自宅を訪問するのが楽しくて、楽しくて仕方ありませんでした。雲上人、博識博学多才(ひろく物事を知り、幅広い知識と学問に通じていること)そして繊細な感覚と豪放磊落(細かい物事にこだわらず朗かなさま)の心を持つ実に魅力に充ちた先生でした。先生から交友関係者の話を聞くのも、楽しみのひとつでした。面白可笑しく、映画や芝居を見ているかの如く、その時の情景が目に浮かぶように語ってくれるのです。まだ今みたいに宅配小包便が広く浸透していない時代でした。先生の話では、「島原郵便局には、私宛に来る小包が桁外れに最高に多い。また私が答礼に送る品物の小包便も最高に多いのだ。郵便局も対応に困っている」というのです。発送元は文壇関係者や作家、経済人、科学者、芸能人、農林漁業者等々幅広く、しかも有名人が大多数ということでした。その中でも俳優の森繁久彌は早稲田大学の一年先輩で康平先生のことを莫逆(心に逆うなし・意気投合して親密な間柄)の友として終生お互いを大切に思いやっていたとお聞きしています。先生は1917年(大正6)長崎県島原の生まれです。大学卒業後も東宝に入社して東京で生活していたのですが、兄の死により、帰郷して家業の土建業に従事します。戦後、病没の父に代わって島原鉄道に入り、昭和24年に天皇陛下行幸を島原半島にお迎えするにあたり、お召列車で半島を案内するために日夜休まず作業を続け、極度の過労から眼底網膜炎が悪化してついに失明してしまいます。この時、奥様は乳呑み児二人を置き去りにして家を出ていかれました。夜になると残された乳児が夜中から明け方まで泣き続けるのです。そんな時には抱いて歌であやしながら赤子をねむらせたそうです。それは「童謡から唱歌、応援歌に軍歌、果ては校歌「都の西北・・・」と、そしていつも最後は「オロロン、オロロン、オロロンバイ」とあやすだけだった」と話されていました。この時「おどみゃ島原の梨の木そだち、・・・オロロン、オロロン、オロロンバイ」
と置き去りにされた乳呑み児をかかえて、先生が作詞作曲したのが絶唱『島原の子守唄』です。のちに、この歌が、当時のNHK長崎の番組テーマ・ミュージックに取り上げられ、森繁久彌が歌い広く世に知られることとなりました。また、1952(昭和27)〜54年(昭和29)にかけて菊田一夫作の連続ラジオ放送劇が大ヒットして、当時の人々は皆ラジオの前で釘づけになりました。『君の名は』です。氏家真知子と後宮春樹の悲恋を描いたものでした。のち映画化されると決まった時、真知子と春樹の再会するクライマックス(最高潮・物事や感情が最も盛り上がり緊張した状態)の場面をどこで撮影しようかという話になったそうです。原作演出の菊田一夫は再会場面は熱海と決めていたようですが、康平先生はその映画化の計画を聞きつけ、知人の菊田一夫と直談判してその舞台を強引に長崎雲仙に持ってきました。氏家真知子役は岸恵子、後宮春樹役は佐田敬二です。当時、人気絶頂の男女の俳優でした。

 

 

農家の庭先養鶏

島原駅前「島原の子守唄」像

©長崎県観光連盟

 

 

 

 


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