『物余り社会と大山』
昭和48年という年をどのくらい記憶し、自分の心に留めているだろうか。
私の歴史観によると次の3点により世の中が大きく変わった大転換の年である。そして今もなお、私も含め大部分の日本人がその影に悩まされている。
第1点は、第一次石油ショックである。中東の石油産油国が協調し、対イスラエルとの政治の場に石油を利用し原油価格が高騰した事である。
第2点は、日本農業の大転換期であった。前年までは、農地の広い農家ほど年間所得が高かったが、昭和48年を境に経営面積の広い農家より家族の一員が他産業に従事している、即ち兼業農家の方の所得が高くなった事である。この事は、農業就業者が他産業へシフトしていく流れが出来た年である。
第3点は、恐らく誰もお気づきでないかも知れないが、日本の歴史上初めての事であり誰も経験した事もない、 物が十分満たされ、物が余る社会に突入した年である。 過去、何万年何千年の間、日本の歴史 開闢 ( かいびゃく ) 以来、衣・食・住、その他、人が生活するうえにおいて欲しい物がいつの時代も不足していた。我々の子供の時代、昭和20年代初頭においても白飯を腹一杯食べてみたかったし、甘い物が欲しかった。単車(バイク)そして夢の又夢の車が欲しかった。又、電化製品全てが欲しかった。昭和48年には、日本国民の殆んどがそれらを手に入れた。そして、生産は過剰となリ物が余る社会に突入した。困った事に一流会社の経営者も農家の戸主も誰一人として物が余る社会を体験した人はいなかった。70歳、50歳、30歳、10歳、5歳の人それぞれが同時に物余りの社会に突入した。高齢の人よりも若い人の方がよりスムーズにそれを受け入れる事が出来たのではないだろうか、かつては日本人の勤勉性や教育レベルの高さが価値を生み出した。豊かな農家は、朝は朝星、夜は夜星を眺めながら労働にいそしんだ。しかし、物余り社会は、そんな事では価値を生まない。世界の中でも有数の高賃金の国になった日本では、附加価値のつかない仕事をしても競争には勝てない。日本国内の経済が停滞しているのは、物余りの社会でどう時代をとらえ対処しなければならないか、その真理の探究がなされていないのではないかと思われてならない。
私なりに物余りの社会での処し方を整理すると
1.かつては労働が価値を生んだが、今やそれだけでは価値は生まない
2.附加価値のない仕事は淘汰される
3.附加価値とは知恵の価値である
4.微差が大差を生む社会、他と比較して有利な少しの差が大きな価格差を生む
5.物から心の時代、即ち物を通して感動を与えてくれる提案
6.改善というより常に改革という発想が常に求められる
7.価格が安いだけではなく、品質、デザイン等が良くなければ買ってくれない消費者優位の社会である
8.昨日の常識は今日の非常識というくらい進歩が早い社会
思いのままに列記してみたが、これらを組合員の方も又農協運営を授かる私共も真摯に受け止め、対処しなくてはなるまい。
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