『自然災害と大山』
古来より、天災は忘れた頃にやってくると戒められてきたが、最近は多忙なのか忘れない内にやってくる。
ミャンマーのサイクロンは、死者10万人超と推測される。又、その直後は、中国・四川省のマグニチュード8.0と言われる超大型地震の発生では、壊滅的な大被害である。両国とも、共通点がある。ミャンマーでは、軍事独裁政権である。自由選挙では、アウンサン・スーチーに勝てない軍事政権は恒久的な権力を維持するための法改正を国民投票で信任する選挙を国際批判の中、実施した。そして、サイクロン発生後、西側の人道支援の申出を全て拒否してきた。災害発生後、72時間内の人命救助が限度と言われる中、それが過ぎた頃、漸く国際批判の中、軍事政権に友好的なタイ、中国、インド等極めて少数の国のみ参加受入れを表明した。本来、国家とは国民の生命、財産を守るのが最重要課題であるはずなのに、何とまあ遅れた野蛮な政権であろうことか、私が訪問した国々の中で最も遅れた貧しい国がミャンマーだった。今回のサイクロンが超大型で上陸する事は事前に判明していた事だ。的確な情報を流すインフラ整備が不備だったにせよ、ラジオがあるはずだから避難を呼びかけていたら随分被害は免れた事だろう。国家としての全ての機能麻痺が今回の大災害をもたらしたと思えてならない。又、中国の四川省の地震も根本的なところは、ミャンマーと大差はない。
今夏8月、北京オリンピックを控え、国家の威信をかけ国威発揚の場と考える共産党政権は、国家の恥の部分をひたすら隠そうとしてきた。2月のギョーザ事件も同じだし、チベット問題も然りだ。今回の地震は、想像を絶する。被害をこれだけ大きくした事は、自然災害だけでなく人災の部分もある。数千年の昔から歴史の示す通り、袖の下の金がまかり通る中国の体質が、見え隠れする。建築許可には裏金の効果が発揮され、豆腐渣工事(天ぷら)の賜でなかったのか、政府の建物だけ崩壊を免れ安全であるべき学校は崩壊してしまった。又、災害復旧の各国の人道支援も一部友好国以外は立ち入り禁止である。被災地は、少数民族が多く住む問題箇所である。災害復旧に名を借りて西側諸国へ生の民意情報が流出するのを恐れた所産だったのではないか、疑念が残る。四川省の田舎町では、地震発生の数日前、大量のヒキガエルが道路を横切ったという。又、ネズミの大移動があったともいう。日本では、古来より地震は地下の大ナマズが暴れるために発生すると信じられていた。しかし、考えてみれば科学的根拠に基づく自然界の現象と思われる。地震発生前には地下で電磁波が放出されるという、水中では鱗のないナマズやウナギは最も敏感に電磁波の影響を受けるはずだ。電磁波を感じたナマズが水面から飛び跳ねる、その姿を見た人は、ナマズが地震の源と考えた事は充分察知できる。自然災害は、近代的、科学的機器を駆使しても今なお、予測は難しい。昭和28年、筑後川大水害は記憶に生々しい数千人の死者を出し、上・下流とも甚大な被害に見舞われた。鎌手に住む私は、現ひばり保育園の1メートル下位まで水位が上昇したのを覚えている。川の中央部分は、土砂で盛り上がり、小五馬の集落が見えなくなった。小五馬は全て川に飲み込まれたとささやく大人の声を耳にした。その後、縁あって河川の側にキノコセンターを設立し、30数年四季折々その場で過ごした。28年の大水害と同じような梅雨末期の豪雨を体感した事があった。すると河川より川ムカデ、ネズミ等信じられない位の大量の小動物が豪雨の前に這い上がってくるのを目の当たりにした。自然界の小動物は気圧の異常さを感じとり、身の危険を人間よりもっと敏感に感じるのではないだろうか。
我が国では、奈良、平安時代より香をたき香りを楽しむ生活文化を育んできた。香をかぐとは表現しない。香をきくという言い方をする。自分や家族の身の安全を保つ為、近代情報だけでは無理がある。激変する社会の有様に「時の流れにきく」自然災害にも「自然にきく」という謙虚な態度が求められているのではないだろうか。 |