『栗の検証と大山』

  昭和36年、梅100ha、栗400haの産地づくりを宣言し、10年後には800戸の農家が年収10万円台から100万円の粗収入を得るという大目標を掲げた。即ち、「梅、栗植えてハワイに行こう」のスタートであった。
 しかし、40数年経過した今日、栗は町内そこかしこに点在するのみで甚だ心もとない有様である。では、何故成功しなかったのか検証しなければならない。
1.10a当りの収入が低かった。
2.猪の被害が多発した。
3.胴枯れ病等の予期せぬ被害が続出した。
4.成園になると新梢が伸びず、収量が激減した。
5.予想に反して肥沃な土壌、水はけの良い土地を好む作物だった。
栗が大山に定着しなかった要因として、これらの事が考えられる。歴史を振り返る時、「タラ」、「レバ」は禁句と言われるが、もし、このような栗の剪定技術があったならば産地として生き残ったのではないだろうかと考えさせられる産地がある。
岐阜県の山奥、長野県との県境の近くにある恵那という所である。山村の小さな町に「恵那川上屋」という栗専門の和菓子屋さんがあり、大繁盛しているという情報を得た。昨年10月初旬、現地を訪れ、若き鎌田社長(45歳)と出会った。柔和な顔立ち、ふくよかな人柄で魅力的な青年社長である。近隣の農家から栗を買い集めそれも高価格での買取りである。得てして商をする人は少しでも安く買い叩き自分の利益追求に走るのだが、彼は全く逆である。農家と共存共栄である。事業は社会の公器であるというのが私の考えである。自分の会社だけ利益が上がれば良い、仕入れは少しでも安く買い叩くのが常識のようにまかり通る今日この頃の世相の中、さわやかな青年社長の考えに痛く共感した。早速、近郊の栗園に案内して頂いた。私は思わず腰を抜かした。信じられないほどの強剪定、あたかも桃の木の剪定の様に枝が少なかった。話を伺うと樹冠内、1uの中に細い新梢が2〜3本ある位である。樹高も低い、反当り毎年300kg以上の収量が採れるという。この技術は岐阜県の専門技術員だった、地元出身の塚本氏が考案した剪定方法だという。今年の冬場、塚本先生を大山に招き、栗の剪定技術を伝授してもらう事に快諾を得た。その上、若き青年社長「恵那川上屋」に農協職員を派遣して栗の加工技術を教えて頂くという破天荒の許可を得た。            近い将来、農家の皆様が栗で付加価値の高い収入を得て農協で加工して木の花ガルテンの各物、栗特産品の誕生を夢見ている。

 
 
 
 
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