『宇治山哲平画伯と大山』

  昭和41年3月、『宇治山画伯エジプトより帰国』2年前の新聞切抜きを片手に、別府市荘園町の宇治山哲平画伯のアトリエを訪れた。
 初対面の私に嫌な顔ひとつせず親しみやすい日田弁丸出しで接して頂いた。
 アトリエは、清楚な佇まいで床に籾を干す「ねこだ」(わら藁なわ縄を編んで作った大形のむしろ)が敷かれており、キャンパスが幾つも並んでいた。庭には深い池が掘られており鯉が優雅に泳いでいて、全体の雰囲気が静寂に包まれていた。
 宇治山画伯は、日田市豆田の出身で日田中学では、父治美より2年先輩の日本を代表する抽象画家であった。
○△□といったシンプルな形に鮮やかな色彩を駆使した絵画によって独自の画風を展開し、全く新しい絵の境地を切り拓いた偉大な画家であった。彼は、幼少の頃みたアッシリヤの浮彫に感動し、画家への道を志した。その後、奈良に絵の修行に訪れ画風が変わった。極めつけは、昭和38年、イランのペルセポリスの遺跡(十字軍の遠征によって破壊つくされた古代の都)を訪れ、その後エジプトに渡り、ギザーのピラミッドや古代テーベの都、ルクソールを訪れ、その強い日差しの中、古代のロマンに夢を馳せ、大きな刺激を受けたという。大分方面に行く度に画伯のアトリエを訪れ、美味しいコーヒーを頂きながら雑談するのが何よりの楽しみとなった。
 親交が深まり、画伯の家に泊めて頂いたり、又、私の家にも泊まる程の御交際を頂いた。ある時、不躾にも、先生○△□の絵がどこが良いのですかと伺うと、ニコニコしながら、「矢幡君ねえ、絵でも音楽、彫刻、焼き物、何でも世間が認めた一流の物を沢山見なさい、そうすれば、良い物がわかる様になります。」と教えて頂いた。その後、縁あって世界各地を旅する幸運に恵まれた。先生の一言が大きく私の心に残り、訪れた国では、必ず美術館や博物館等一流の物に意識的に触れてきた。
ある日、画伯のアトリエを訪れた私がいきなり「先生、絵が下手くそになったねえ」というと、ニコニコしながら「矢幡君、絵が大分解るようになったね」とお褒めの言葉を頂いた。「僕は今、国画展の審査員の一人です。ここにあるのは一次審査に送られてきた新進気鋭の作家21名の作品です。」と、画伯も20年前、鬼籍に入られた。
今、懐かしく当時を想い、その温かいお人柄で接して頂いた事に心から感謝申し上げたい。大山の農業もこの45年の間、大きく様変わりした。梅、栗から始まり李、梨、ブドウ、エノキ茸、ハーブ、クレソンをはじめ野菜各種等々、そして市場出荷オンリーから独自の直販システム、木の花ガルテンへと、この間、日本社会も物不足の時代から全ての物が有り余る程、店頭に並ぶ時代となった。
 私達生産者も社会の変化に順応しなければ経営が成り立たない。物が余る社会は、「微差が大差を生む時代」とみる。一流の物に触れ、感性を磨く事こそ豊かさをたぐり寄せる近道ではないだろうか。23歳の時、巡り会えた宇治山画伯の一言が、私の人生を大きく変えてくれたと感謝に耐えない。

 
 
 
 
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