『烏宿山と大山』
 町内三十五の集落があったが、小切畑ほど印象深い所はない。
 昭和三十六年役場職員の青二才の青年だった私は、先輩に連れられ初めて集落座談会に行ったのが小切畑だった。「村長の息子か、親父はこんまえまじゃあ、お茶、お茶ち言よったが今度は梅栗か、こん次は何か」と古老に強烈な一発をかまされた。
 そして、集落内の道路拡巾の為、一寸の土地も交渉に応じない人達の集団でもあった。
 この四十数年の間、時は移ろい人も代わった。
 今は、集落内の道路も程良く整備され、見事な集落に様変わりした。そして、時代を先取りしたグリーンツーリズムという新たな切り口で動きが始まった。
 昨年、在住の朝井芳松様から、一冊の大山庄「探訪」という本が届けられた。それは、朝井様のお兄様で広島県尾道で教育委員会に所属し、郷土史を研究された朝井柾善氏のしたためたものであった。小切畑の基源がよく解る素晴らしいものである。小切畑は烏宿山の麗に位置し、南向きの暖かい地形にあり、大昔から人が住みついていたと思われるが、文献に出てくるのは、和銅五年(七一二年)役行者によって創建され、修験道(山伏)の道場として全山が霊場とされたと伝えられている。小切畑、小霧旗、小切畠とも文献にある。小切畑の地名が歴史資料の上に出てくるのが応永十年(一四〇三)である。
 今から六〇〇年程前、津江荘の地頭大和守直盛の弟長谷部盛次が小切畑に入部すると氏名も小切畑盛次と名乗り亀岡嶽に山城を築き烏宿五社権現を崇拝し、大山庄一円の支配に当ったという。
 日本国内には、修験道としての霊山は、羽黒山、高野山、英彦山が三大霊場として、つとに有名だが、この小切畑に第4の修験霊場があった事は我々の誇りでもある。
 聖なる山として、山伏達の修業の場所となり、逗留しての修業には道場や御山管理の建物、参拝者の宿所等が必要で鎌倉時代には修行者や参詣者達の宿坊等で賑った。
 部落中央には石畳の参道があり、この辺りの道の両側には宿坊が建ち並び「第一の烏居」が有る「神社の蔵」付近には「藪畳」があったという。
 旧暦の(十一月十五日)霜月祭があり、深夜、褌(兵児)をつけ裸になった若衆が烏宿に登り、御池の水を持ち帰り田んぼに蒔き豊作を願ったお祭りは勇壮そのものであった。
 正徳五年(一七一五)臨済宗黄檗派の梅関和尚が、ここにたち寄り東漸禅寺を再興し、自ら二代目住職となり、晩年は村人の飢餓を救わんと石室にこもり数週間をかけ念仏を唱えながら五穀を断ち水を断ち、生きたまま成仏する所謂〈即身成仏〉の行をしたという。その跡地の室の上に〈無縫塔〉の墓碑が建立されているという。
 烏宿は文献には、唐宿とも記されている。東大山の天竺台、そして唐宿を結ぶと中国の唐、インドの天竺がその線上にある。この地名の由来も古を感じさせる。先人の思いが伝わってくる気がする。
 グリーンツーリズムの小切畑の先駆者に拍手を送る一人である。集落の方が歴史を掘り起こし、住むことに誇りを感じる環境を整備し、豊かな食を提供し、楽しい一瞬をお客と共有する事がセトン坂にさわやかな風を吹き込む事につながるだろう。書を提供してくれた朝井家一族の皆様に心から感謝申し上げたい。
 
 
 
 
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