『農協合併と大山』
 六月九日、JA大山農協の総会に於いて合併の是非を議題として提案し、全員一致で合併に加入しないという決定を下した。
 平成十九年四月一日を以って大分県が一農協となり再出発するという、大分県行政や農協上部団体の大号令の下で推し進められて来た。二十三農協の内十三農協が合併に賛同し、残りの単協も近い将来合併に加わる手はずだった。
 結果的に一年先延ばしとなった。一年後どうなるか知る由もない。
 織田信長は本能寺の変で明智光秀の謀反によって倒された。
 豊臣秀吉は、信長の天下統一の最後の仕上げの為、毛利軍の最前線である備中(岡山県)高松城の水攻の最中であった。
 京より早馬が駆けつけ主君信長の悲報を耳にした。
 孤立した城主の清水宗治に使いを出し、彼の首と引き換えに城兵の命は助けるという秀吉の講和条件に喜んで宗治は応じた。そして、自ら船を漕ぎ出し、敵味方見守る中で切腹した。
 この類の話は、戦国時代、沢山あるようで自分の命を捨て、部下の命を救うという事が戦国武将としての当然の心構えだったのだと思う。
 「一将功、成りて万骨枯る」という言葉がある。一人の大将の輝かしい功名の陰に多くの兵卒が命を捨てるという意味である。
 しかし、よく考えてみると一人の大将の為に、多くの兵が簡単に命を献げるものだろうか。
清水宗治のように、戦いに利あらずと思った時、責任を一心に背負い、自分の命を捨てて部下の命を守るという大将の心意気と責任感があってこそ、その部下が身命を賭してまで忠誠を誓い働くという力になった事と思う。
 前の戦争終結後、昭和天皇は自らG・H・Qのマッカーサー元師を訪ねた。自分の命はどうでも良いから飢えた日本国民を助けて欲しいと懇願した。天皇自ら命乞に来たと思った元師は、そのお言葉に敬服したという。
 戦に負けたトップが自分の命を捨て、民を救ってくれと言った人を歴史上知らないと後日語ったという。
 そして、戦後の日本復興が始まり今日がある。一国の首相であれば国民の為、会社の社長であれば社員の為、部や課の長であれば部下の為、大事の際には、自分の命を捨てるという位の心意気と責任感を持たなければ人は動かない。
 合併に賛同する農協は歴代の組合長、役職員幹部の経営失敗の責任は重い。又、合併をすすめる農協の上部団体の長を始め、役職員幹部の方々の男としてのプライド、人間としての美学はどこに行ったのか、戦国時代の清水宗治の生き様をかみしめようではないか。
 大山農協では、過去四十数年、役職員の努力、組合員の協力の中、貧しい大地を耕し、時代を先取りして今日を築いてきた。我々も又、きっちり次の世代へ引き渡していかなければなるまい。
 
 
 
 
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