『あの時と今…』
  あの時の光景を鮮明に、しかも強烈に思い出している。
  昭和三十八年五月中旬のある日、旧大山村役場の木造二階会議室での出来事である。
  故、父治美(当事大山村村長五十一才)が農家の青年を毎日の如く集めて熱っぽく語っていた。集まった青年の顔ぶれは、五藤都久美、河津義一、河津正明、矢野征二郎、黒川博文、河津和成氏等、総勢百名位を思い出す。
  黒板に向かい一反歩に梅を植栽した場合の損益分岐点の捉え方を細部に亘り説明し、農業を企業と同じように考えるよう力説していた。右も左も解らない二十一才の若造であった私だが、「これはもしかしたら大山村は将来良い方向に動き出す」と想い、身が震えるような感動をした事が昨日の事の様に鮮明に脳裏に焼きついている。
  爾来四十数年、確実に農家の生活は向上し、進化を遂げてきました。しかし、あの時の理想が実現したかとなると、はなはだ疑問を呈する。一体、何戸の企業的農家が育ったのだろうかと…。農家はプロ野球の選手と同じように一人ひとりが事業経営主である。だから税金の申告は、それぞれが行なう。所得の上限はない。本人の能力と意志さえあれば、何んぼ稼いでも罰される事はない。本人の自由裁量である。今、いくつかの企業的農家が育ちつつあるが数少ない。
  何故だろう?
  私は、その理由を次のように分析する。過去四十数年農協の指導は一貫して自家労働力で可能な範囲の農業を模索してきた。その結果他人を雇って賃金を支払う事は想定外の事であった。果たして他人に賃金を払わずして企業的農家が育つものだろうか。
  大山の農家は、物づくりはそこそこ上手である。しかし、経営力は乏しい。独りの人間で出来る仕事の量は自ら限界がある。物づくりが上手な人は規模拡大してより多くの物を作れば良い。
  我々が、生産した農産物は、収穫したままでは商品としての材料、即ち商材にすぎない。それを厳選し、販売しやすいように包装する課程、商品にする作業に最も労力を要する。ここを他人労働力を活用しないと企業的農業は、不可能である。
  これだけブランド力のある大山の事、農家の中に五千万〜一億以上の販売するものが十戸や二十戸あってもおかしくはない。農協の過去の歴史を痛切に反省する。
  又、一方農家の若手、特に青壮年の方々は何故もっと自ら研修に励み、仲間同志、意見の交換をし、切磋琢磨しなかったのだろうか。
  大山とほぼ同時期に、貧しくひなびた温泉の町であった湯布院町の若手経営者が、事ある毎に集い、口角沫を飛ばし議論をしながら、町づくりの夢を語り自分の経営を高めていった課程を私は良く知っている。そして今日、日本で指折の素敵な温泉地に作り上げてしまった。彼等はかなり知的であった。今後の日本農業は世界の農産物との闘いである。何も恐れる事はない。世界一厳しい消費者によって鍛え抜かれた我々生産者である。我々に欠落しているものは、土地の広さや地形の悪さではない。知的鍛錬の場である。先ず、議論する事から全ての事が始まるるように思えてならない。
  門戸は開かれています。農協に或いは私の懐に飛び込んできてほしい。待っています。
 
 
 
 
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